※32歳当時のウエダが書いた文章です


自分の人生を決めたその瞬間!臨場感たっぷりに?お伝えします。




 まずは立身編で大学生まで遡りますが、バックボーンを一つ。昔からアメリカという国に憧れを持っておりました。そこから始まります。


 私、初めての外国はアメリカなんですよね。San Fransisco郊外のVallejoって街にホームスティで行ってたんですけど、シリコンヴァレーの上を抜けて、初めてアメリカの大地に降り立った時はやっぱり感動しましたよね。「これがアメリカか!」って。

 1ヶ月の滞在期間中、一緒のグループの人達がいて、思いっきり楽しんでました!ホームスティ先の家族と色んなとこも行ったしね。特にヨセミテは良かったですね。あの頃、フリークライムやってた事もあって、ヨセミテってメッカなんですよね。で、のぞいたんですけど、圧巻です!とても文字じゃ表せませんが、人が芋虫みたいにぶらさがってました。(寝袋が釣り下がってるんですね)私はEqipments(いわゆる道具)が無いのを理由にやりませんでしたけど・・・

 他にRed woodの森‘Muir Woods’やワインで有名なNapa Valley、Budweiserの工場で酔っ払ったりね。あ、それとハーレーの集会はおもしろかったな。ヘルス・エンジェルスでしたっけ?あんな感じの集団にズカズカ入っていって後ろ乗っけてもらったり。あと、クラシックカーの祭典でT型フォードに乗せてもらったりね。

 とにかくおもしろかった。絶対また来るぞ!って。 そーいえば、ヨセミテで目の前で人がライフル突きつけられてるのを見た時はびびったです。ママ曰く、「これもまたアメリカだ」だって。そんなこんなで、初めてのアメリカを体験した僕は後ろ髪を引かれる思いで彼の地を後にしたのでした。
 
 うちのじいさん(母方)、船乗りだったらしいんですよ。東京商船大学時代に航海実習でロスアンゼルスに行ったまま、帰ってこなかったらしいんです。よーするに向こうに住み着いちゃったんですね。で、親は死んだものって思ってたら、ひょっこり帰ってきちゃった。またすぐに、アメリカに戻ったらしいんですけど。太平洋戦争がひどくなって本当に戻ってきたような話です。

 商売やってたんで、帳簿を英語でつけて税務署員が解かんないようにしたり・・・ そんなじいちゃんにあんたは似てるって子供の頃から言われてましたな。親戚一堂にも。だからなのかな?無意識に好きなんでしょーか?懐かしいというか。船、海大好きですね。
 
 翌年も当然行きましたよ。今度は4つのHUB拠点に周りました。NYから入ってMiami、Jamica、Los、San Diego、Mexico(Baja California)、Vegas、Ciscoとね。ナイアガラはやっぱりでかかった。Broad Wayもあの頃、アメリカ経済元気なかったわりには人多かったですね。本物の芸術は景気に左右されない?

 Madison squareやEmpire buil、今は無きWorld trade centerなんかもおのぼりさんで行きました。悲しいですね、もう無いんだもん。誕生日をNYフィルの演奏で迎えられたのは嬉しかった。いつかは ボストンフィル行きたいですね。(高校時代の友人がチューバ吹いてます)

  Miamiもよかった。へミングウェィが晩年を過ごしたKey Westって町に行ったんですが、ご存知、Seven miles Bridgesを通るんですよね。(昔、セブンスターのCMで映ってましたね)気持ちいいですよ。福岡は志賀島行く時にちょっと似てる雰囲気ありますよね。で、カジキ釣ろうかなって思って、Fish boat乗り込んで行きました。釣れたのは雑魚ばっかでしたけど。いわゆるTropical fish。でも食べると淡白で美味しかったです。

 Jamicaとっても素敵でした。みんな仕事なんかやってないもん!映画の「クールランニング」ってあったでしょう?映画の彼らは真面目だと思う。あんな一生懸命な人達は僕は見なかったです。僕はリゾート地しか行ってないんですが「Cocomo」トム・クルーズのやつね。まさしくあれ、「Cocktail」ですね。それとやっぱりコーヒー!ブルマンは美味かった。日本じゃ高いですよねー。 

 その時、一緒に行ったのが博多出身の喜納さん夫妻なのですが、世界一周してましてね、西回りで周ってたんですね。南米に行く前に、Miamiに寄ってるとこに僕と会って1週間ぐらい一緒に遊んだんですよ。彼ら夫妻には博多に来てからも大変お世話になりました。あらためてお礼を言わせていただきます。

 Mexicoでは通貨切り下げって言うんですか?ペソの暴落で2桁切り下げるんですよね。銀行でドルを両替したら(記憶が確かなら)100ペソと10000ペソが同じなんですよ。理屈じゃわかるけどなんかへんな感じでした。車で行ったんですけど、入るの簡単、出るのは厳しい。日本人だから問題ないけど、不法移民の問題をしみじみ感じましたよね。国境の警備が凄いし・・・人(メキシコ側)が金網に張り付いてこっち見てるんですよ。大陸って感じですよね。世界最大、最強の国と第3世界の境はこんなんだ!って思いました。

 そしてVegasですね。砂漠の中の不夜城。車で真っ暗な中走ってたら、突如レーザービームの明かりが見えるんですね。そしてダーンと街が見えてくる。あれは興奮しますね。いっちょやったろかってね。あんましお金なかったんでやれなかったですが・・・

 全部は語れませんが、私の大好きなアメリカという国はやっぱり大好きな国でいてくれたんですね。で、俺はここに住もうと思いましたね。何やればいいかとか全然わかんなかったけど、とにかく帰ってこようと。そう決めました。考えることは単純で、てっとり早くお金つくってもどりゃいいじゃん!みたいなね。

 で、たくさん給料貰えそうなとこで健康食品の会社入ったんですけど、いわゆる催眠商法ですね。一時期マスコミでも問題になりました。あれですね。年金暮らしのお年寄りをプレハブ小屋みたいなとこに集めて、プレゼントと同時に商品売りつけていくんですね。最後は高級羽毛布団ですよ。70万ぐらいしましたかね。2ヶ月もちませんでした。綺麗事言う訳じゃないけど良心に反しましたね。
 
 それで、他にないかと思って、じゃ商売だ!なんて発想ですよ。昔から飲食かじってた事もあってレストランの厨房で仕事しながら何がいいんだろう?って探してました。思い出したのが、NYの屋台でスブラキってのがあるんですね。羊の肉をオーブンで焼いて、削ぎ落としたやつをピタパンで巻いて食べるトルコ料理なんですけど、これが美味くてNYいる間毎日食べてたもんだから思い出しちゃってね。これ福岡でやってみようと。新しいもの好きな土地柄だしね。

 で、色々調べたんですけど、たこ焼き売ってるやつとかにね。大変なんですよ現実は、屋台って。その延長線ですからね、やろうとしてること。こりゃいかんと思いました。私あきらめたんですけど、誰かやってくれないかな。世界ではメジャーな料理なんですけどね。世界の3大料理ですよ。トルコ料理って。期待しております。

 その時期ですね。博多聖福寺にて尺八習ってたんですよ。座禅組んで瞑想したりね。禅の本読んで感動して、たまたま自転車で行ける範囲に住んでたんで行ったんですけどね。尺八って最初、音すら出ないんですよ。西洋の楽器ってとりあえずは音出るじゃないですか。でも下手な音すら出ない。論外ですね。楽譜もイロハなんですよ。奥深いな−って思いましたね。

 永六輔の「誰かと何処かで」ってラジオ番組がありますね。あの始めの方かな?尺八の調が流れるんですよ。あれを吹けるようになりたかったんです。途中でやめちゃったから未だに吹けませんが・・・いつか再チャレンジしたいです。

 で、スブラキ屋台の夢あきらめちゃったし、お金もなくって、自分の人生に疑問を感じながら、とりあえずはお金いるしということで、便利屋さんのバイトしてたんですよ。日給だからその場はしのげるし・・・。便利屋ってだけあって色んな仕事が入ってくるんですね。やばそうな仕事も電話口で匂うっていうかね。そんなのは断ってましたけど。 

 夜逃げの手伝いなんかしてましたね。朝3時に集合、7時には終わってるってのも何度かありました。どーみても億ションのマンションからボロボロの木造2階建てアパートに幼子連れて引っ越していく母親とかね。隣に乗ってるんですけど会話に気を使いますわな。何も訊けませんよ、ホント。

 そんな中で、営繕工事っていうんですけど、家の修理ですね。ちゃんとした職人さんの手子(雑用係)で行くんですよ。これがおもしろかった。何かを創るっていうことですね。ひょっとして俺って職人向き?と思い始めましたね。
 
 そういうのが何度かあって、「そーか、職人か!何の職人になろうか」って考えてたんですけど、そこのバイトに船乗りのシェフさんがやってきたんですね。世界中周ってて、年に2回しか陸に上がらないんですけど、その間小遣い稼ぎにくるんですよ。

 私訊きましたね。「世界で通用する職業って一体何ぞや?」と彼曰く、「ゴウちゃんがもう少し若ければひよこの雄雌鑑別士を薦める」と。凄いらしいですね、あれ。まさに日本人にしか出来ない特殊技術!ヨーロッパ中を走り回ってるらしいですよ。ただ、悲しいかな、年齢制限があるんですよね。たしか、名古屋に学校があるらしいですが、遅くとも20歳?(18歳)までにやんないとだめらしいです。これを読んだ若き君!チャレンジする価値はあるぞ!

 じゃ、現実的に何?ということで言われたのが「ゴウちゃん、世界で通用する3つの刃物って知ってるか?」なんですよ。なんだと思います。ちょっとだけ考えてみて下さい。

 答えは一、料理人の包丁 二、床屋のはさみ 三、植木屋のはさみだったんですねー。今なら、他にいくつか出てくるんでしょうが、あの頃は素直にそのまま受け取りましたね。包丁は一度、握ってるし、床屋のはさみは俺向きじゃないなと。残るは植木屋のはさみかってね。

 時期を同じくしてテレビで「刑事コロンボ」見たんですよね。「家の上さんがね」ってやつ。あれです。舞台はビバリーヒルズの豪邸で、犯人は目撃者いないと思ってたのが独りだけいたんですよ。それがお隣の高木に登って剪定してた日系人の植木屋なんですよ。英語うまくなかったから1世ですね。

 それを見た時、この人は、はさみ一つでアメリカに渡ったんだって感動しましてね。急速に植木屋、庭師ってのが現実味を帯びてきましたね。

 そして、これが決定打なんですけど、ふと禅寺の前を通りかかったときに庭が目に入ったんですね。引き寄せられるように入っていったら、そこは砂利と石だけの空間なんですよ。いわゆる枯山水の庭です。

 砂利は丁寧に波紋がしてあったですね。私震えました。威厳に満ちてるんですよ。そこに足を踏み入れちゃいけないっていうね。凄いと!たったこれだけの空間にこれだけの精神性を持たせる。これは一体なんだ!と。その時はっきり決意しましたね。俺は庭師になると。

 
長いのに最後まで読んでくれて有難うございました。そんなあなたに祝福あれ!!















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